アダム・スミスへの思い込み
最近、この本を読んでいる。
資本主義や経済を知りたいのなら、この人に辿り着く。
きっと、幸せになるためには、沢山の富を得て、金持ちになって、経済を回すことが必要だ!と。
そんな考えの人なんだろうな。と思っていた。
結論から言うと、正反対の思考の人だった。
むしろ、
幸福は平静と享楽にある。
健康で、負債がなく、良心にやましいところがない人に対して何をつけ加えることができようか。
この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の増加はすべて余計なものだというべきだろう。
「道徳感情論」より
と言っている。
ちなみに「国富論」は、スミスにとっての終着点ではなかったみたい。
彼は、正義・生活行政・公収入・軍費、これらの原理を全てまとめて、人間を豊かに・人間同士をつなげる"万民の法"を作りたかった。
その第一歩として、"万民の富"の原理を記したのが「国富論」だった。
「国富論」だけがアダム・スミスではなくて、それは彼のほんの一部に過ぎなかった。と気付いた時、思い込みの恐ろしさを痛感した。
世の中には自分の知らないことが幾つもあるのに、簡単にそのことを忘れてしまう。知らないうちに自分の都合の良いように物事を解釈して、都合の良い情報だけを集めて、自分は何でも知っているかのように思い込んでしまう。
根拠のない思い込みは、なぜか自信を持って語ってしまう。
知らないほうが、偉そうにしていられる。
もしかしたら、知らない幸せもあるかもしれない。でも私は、多少険しい道のりでも、知る幸せのほうが好きだ。
何より、無知による思い込みや勘違い、批判や否定は避けたい。
と、改めて感じている最近でした。