怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。

久々に、ブッダの教えを。

怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。

慢心とは・・・心の中で自分のことを自慢すること。おごり高ぶる心

 

なぜ怒りと慢心がセットなのか?と言うと

慢心が怒りを生むから、だそうです。

 

例えば、

「自分は他人よりも優れている」という慢心を持っていたとします。

そこで他人が、自分以外の人間を褒める姿をたまたま見かけます。すると、

「なんであいつだけ褒められるんだ!私はこんなに優秀なのに!」

と、怒りにつながってしまいます。

 

そもそも、「自分は他人よりも優れている」という考え方は高い自己評価。

 

・なぜ、高い自己評価をする必要があるのか?

それは、「他人よりも優れている自分でいなくてはいけない」と思っているから。

「他人よりも優れている自分でいなくてはいけない」という気持ちは、自分の中の評価だけでは完結せず、他者からの評価があって初めて「他人よりも優れた自分」が確立する。

他者からの評価が全て

という他者への依存心が根本にはある。

 

・では、なぜ他者からの評価を必要とするのか。

それは、条件付きの愛を与えられる経験が多かったから。かもしれない。

自分の行動に対して、他者が良いと思ったことを評価されることが多かった。

 

例えば・・・

・100点を獲ったら両親が物凄く喜んだ→もっと頑張ろう(両親は100点を獲った私に喜んでいる)

・良い業績を残したら、上司に褒められた→もっといい成績を出そう(良い業績を出せば上司が喜ぶ)

 

これらの積み重ねが、他者への間違った依存につながっていく。

だから、子育てにおいて「褒める」という行動は危険。

アドラー心理学でも同じことを言っていたなあ~)

 

それを解決する鍵は

無条件の愛

これです。(7つの習慣より)

結局は、自分そのものの存在を愛される経験が少ないから、他者への評価を求めてしまう。

でも、自分そのものの存在を愛してくれる人なんているんだろうか・・・

と、思いますよね~分かる。

 

だから私は、愛される前に、愛すことに決めました。

無条件の愛を与え続ける。

ありのままの姿を愛す。

与えることは、与えられることを待っているよりも十分に幸せになる、と信じています。

これは決意と覚悟です。

正直それで幸せになるのかは分からないし、もしかしたら傷つくこともあるかもしれないけど、これ以上、待つのはやめました。

(最悪、他人に愛されなくても、自分が誰かのことを愛していればいいし、自分が自分のことを愛していればそれでいいよね。なーんて。個人的な意見です。)

 

・・・話が逸れたー。

ブッダは、怒りを捨て、慢心を除き去れ。と言っています。

まずは、慢心の心が自分の中にもある!ということに気づくことが第1歩らしいです。イラッとした時に、「あ、私イラッとしてる。これは、人に認められたいって思っているのか。ふーん。」

って冷静になれば少しは変わるんじゃない?

って書いてありました。

なるほど。いいですねそれ。やってみよう。

 

おわり。