幸福とは
ダニエル・ギルバート氏のTEDを観ました。
幸福には2種類ある。
1つは自然発生的幸福。
もうひとつは人工的幸福。
自然発生的幸福
欲しいものが手に入った時に感じる幸福
人工的幸福
欲しいものが手に入らなかった時、自ら作り出す幸福
現代は、人工的幸福が2流とされている。経済を回すためには欲しいものを手に入れさせる必要があるからだ。
でも実は、この2つの幸福はどちらも同じ幸福が得られる。
どちらが幸せと思うだろうか?
- 宝くじで3億円当たった人
- 不慮の事故で車いす生活になった人
間違いなく、1だと思う。
でも実はどちらも同じ幸福度であることが実験で分かっているそう。
私たちは自ら幸せを作ることができ、それは向こうからやってきた幸せと同じ幸福度を得られるらしい。
だが私は毎日、目の前に無いことをあれこれ考えて、後悔することを恐れている。
考えれば考えるほど、不安が襲い掛かってきて、大きくなっていく。
これが人間の癖らしい。
そんな私に救いの一言が。
人間は実際に感じる以上に深い後悔を予測しがちだ。
後悔をあまり重大視すべきではない。たとえ後悔するとしても、今考えるほどひどくはないものだ。
ーダニエル・ギルバート(ファスト&スローより)
望みや希望は、限りがあるから楽しめる。
限りがないと、ウソをついたり騙したり、人を傷つけたりしてしまう。
不安や恐怖も、限りがあると用心深く慎重に、分別ある行動ができる
限りがないと、臆病になり過ぎてしまう。
願望や心配を自分の中に作り出し、考え過ぎると大げさになってしまう。
たとえ選んだとしても、その先には別の何かを探し求めてしまい終わりはない。
うーん。難しい。
幸せは、自分で作り出すことができる。けれど、あまりに多い選択肢の中から1番良いものを選ぼうとすると、そこには常に不安や迷いが付きまとう。
成功を求め過ぎて、自分の中の大切な何かを見失っていないか。失敗を恐れ過ぎて、確実な道を求め過ぎてていないだろうか。
求め過ぎるのは、自分を見失って苦しめるだけなんだろう。
講演の中で紹介されていたアダム・スミスの言葉をゆっくりと読んで、理解して、明日からも生きていこう。
人類の生活における苦悩や無秩序の多くは、永続的状況とそれ以外の状況との差異を過大評価しているところに帰依するようだ。
いくつかの状況は疑いなく他より好ましいものであるが、それらのどれも慎重さや公平さの規律を犯すまでの情熱をもってして追い求める価値はない。
また、未来の心の平穏さは自らの愚行の記憶による恥・自らの不公平な行いへの恐怖や後悔によって乱されるべきではない。