自分のことが一番分からない

24年間生きてきて、自分のことは誰よりも一番分かっているつもりだった。

よく本や記事で「自分のことが一番分からない」と書かれているものを目にするたびに、そんなことないと思っていた。

でも、それが真実だった。

 

自分のことを諦めたくないし、社会的に成功していて、価値のある人間だと思われたい。そんな欲望が私を形作っていて、いつの間にか欲望が「自分の姿」と思い込んでいた。

その欲望を全部取っ払って、私が何をどう感じるのか。自分自身の感覚には酷く鈍感で。というより、1年前まで自分自身の感覚の存在を知らなかった。

自分自身の欲望に関しては誰よりもよく知っているかもしれない。

 

そして、自分自身の感覚を知るって本当に難しい。

自分自身を知るって本当に難しい。

 

偉い人の本を読んでよく分かる。人の心は単純で、あらゆることに左右される不安定な存在なんだと。

コントロールするのは難しい。

意識していないとすぐにフラフラどこかへ行ってしまう。

コントロールするにはそれなりの努力と忍耐が必要で。

でも残念ながら、今は手元にスマホがあるお陰で娯楽があっという間に手に入る。そして流されていく。

 

私は2人姉妹の次女として生まれて、育つ過程で不自由はなかったように思う。

幼い頃から、習い事に通わせてもらい。欲しいものがあれば与えてくれるような家庭だった。

きっと両親は、我が子に不自由ないようにと大切に育ててくれたのだろう。

両親には感謝しているし、家族のことは嫌いではないけれど、昔から少しだけ違和感を感じていたのは事実。

私は、理想を追い求めて、現実をあまり見ないタイプなのに対して、両親と姉は現実的な人間だった。私から見たらあらゆることに否定的で慎重に見えた。

 

交友関係では、学生時代はしっかり者な友人と仲良くなることが多かった。

きっと私を見ていて面倒が見たくなったんだろうな。

そんな子達に助けられながら、今まで特に苦労もなく生きてきた。

 

そして社会に出た途端、何かが上手くいかない。

この苦しみの原因ははっきりは分からない。

どこに行っても違和感が付きまとう。

今現在も苦しんでいる。

 

最近少し分かったことは、原因は全て私が作り出しているということ。

全て起こることに対して、自分の心が意味付けをしている。

目の前で起きている事実には何もなくて、

私の中にある欲望・期待と事実の辻褄が合わずに苦しんでいるだけ。

欲望と期待の存在を確認して、対処していけば少しは楽になるのかもしれない。

 

それ以外の問題もあるかもしれない。

大人数の密集した集団が苦手

雑然とした空気が苦手

このあたりの問題は、対策が打てそう。

人と至近距離ですれ違うことも苦手っぽいので、避けていこう。

 

私のことは分からないけど、少しずつ歩み寄って生きていこう。

心地よい空間で過ごせるように。