儚さ

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儚いからこそ、美しい。みたいなものがよくある。

数週間だけ花を開く桜が、まさにそうで。それがいつもあると、美しさが半減して当たり前になって、何とも思わなくなる。

美しいものを当たり前にしてしまう怖さが自分の中にあって。好きなものは、特別にしておきたい。毎日触れてしまうと、飽きてしまうかもしれないから。それが怖いから。

本当にそうなのだろうか。

桜も、好きな店の珈琲も、パン屋の食パンも、たまにだから良いのか。

その怖さは、本当なんだろうか。

もしかすると、思い込んでいるだけかもしれない。

美しいもの、好きなものに毎日触れたら不幸になるなんて、そんなわけない。

だから私は毎日、美しい桜を見る。好きな珈琲を飲む。好きなパンを食べる。

今まで想像していた怖さとは、正反対のことが起きる。

毎朝起きるのが楽しみになる。生きるのが楽しくなる。

 

儚いからこそ美しい。それもいいけど、私は、美しいものや好きなものにずっと触れていた方が幸せを感じる。

失うとか、寂しさとか、儚さにはそういった要素があるのかもしれない。

桜を一年中見られたらいいな。

今日も綺麗だなと、毎日思いたい。

儚くなくても、桜は美しい。

儚さを前提として見る桜より、ただ桜を見て、美しいと思いたい。