漠然とした思いを色々と
おはようございます。
久々に昨日は、日付を越してから寝ました。
物凄く楽しい一日でした。
・漠然とした思いや考え・
漠然としすぎているんですが、これはどこかで核心につながっている気がするのでひたすら書いていきます。
楽しく生きる
結局ここに尽きる。私は楽しく生きたい。私が楽しく感じるのはある程度生活に自由があることだと思う。それって今、実現可能な気がする。
毎日、丁寧な暮らしを心掛けたい。スローライフ。
でも、そこには一人ではなくて、自分が求められていることが必要で。自由に生きつつ、人から求められ続ける感じ。
ユルく生きたい。
人とつながっている感をもっていて、でも、私は私。そんな生き方がしたい。
仕事に対する考え方
ティール組織の著者の方のスピーチを聞いているんだけど、これに物凄く納得していて。
この先は、仕事!ではなくてもっと幅広いもの。人類的な何か。宇宙・生命みたいな・・・。
いや、全然わからん。ニュアンスしか分からないけど、凄く納得する。そして未来は明るい。
もっと深く知って、言語化して伝えられるようになりたい。この考え方本当にすごい。しかもこの本が売れているってことは、人が新しい「何か」を求めているってことだよね。すごい。これ本当に、面白い。
今までいかに狭い範囲で物事を見ていたか。そんなことに気づかされる。
もっと全体を、視点をもっともっと広げていくと、本当に新しい考え方が・・・とか思ったりして。すごく心がときめく。楽しい。
未来は明るいよ。
この先は本当に、一人ひとりの考え方ですべてが変わってくる世界になるな~と。
気づいた人は、素晴らしく明るい世界を歩んでいって
気づかない人は、ひたすらしんどい世界になっていく
ワクワクするね。
いや。でもこれって根本的な考え方のシフトが必要だよなあ~。それが漠然としすぎているからまあ苦しい苦しい。
でも、楽しくて仕方がないから、引き続き考えていきます。
未来は確実に明るいです。それに気づくことが出来たら。
愛
朝からわー!っていう体験をしました。
なんか、愛をはき違えていた感じ。
これは愛ではなくて、愛の形をした執着だった。という結果。
でもそれをずっと愛だと思って、ひたすら握りしめていた。離せなかった。
それを離せば、もっともっと素晴らしい世界があるのに、なぜか離せなかった。それが余計自分を苦しめていた、みたいな感覚。
だめ!これは離しちゃダメなの!絶対離さない!!!
みたいな感覚・・・
うちの犬が、玩具を口にくわえて絶対離さない感じ。
それを離せば、もっとたくさん玩具があって、それで他の人たちは楽しそうにしているのに、なぜか意地張って1つの玩具をずーっと持ち続けている。
犬自身も、他の玩具で遊びたいと思っているけど、もう戻れない・・・。感覚。
ここでいくら、
玩具貸しなさい!
って引っ張って取ろうとしてもダメで
むしろそれは余計に「絶対離さないから!」の気持ちを強くしていくんだよねー。
そこでどうするかというと。
一緒に遊ぼうよ
って声をかけながら、そっと見守っておく。
そして玩具を犬が手放してこっちに来た時、迎え入れる。
それだけなんだよ。できることは。
そんなことを考えていました。
私の心の傷はきっと、
「この人を手放したら、誰も私のことを愛してくれない」
っていう恐怖だったんだと思う。
その恐怖から、ずっと手放せなかった。
これを手放したら、私は死んでしまうと思っていたから。
だから余計に執着してしまう。
間違った愛になっていく・・・・。
愛という形の執着です。
相当、自己肯定感が低いです。
でもこれをどうしていけばいいの?って、
ひたすら自分を許し続けることだと思う。
凄く時間がかかると思うけど
真剣に自分と向き合っていく。一生。
自分との約束を守っていく。
私が私の最大の味方だってこと
私は私と一緒に人生を歩んでいこうって感覚。
これが出来ると、少しづつ、執着や恐怖が、許しや愛に変わっていくんだろうな~って感じ。
そんな感じ。
自分と向き合うと必ず泣きそうになるんだよねー。
それくらい、自分のことを苦しめていた証拠ですね。
ねー。
そんな感じです。
それでは。