宅配ピザから得た、不遇な時期の過ごし方

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宅配ピザを頼んだ。

今日は寒かった。

仕事を終え、帰る前に宅配ピザを注文。

寒い中、配達員の方には申し訳ない!と思ったが、ピザの誘惑に負けた。

というか、ピザが食べたかった。

 

だが、金曜の夜ということもあってなかなか届かない。

ピザ屋のWebサイトで進捗状況を見ては、まだか。まだか。とイライラしてしまう。

スマホ片手にサイトの更新ボタンを何度も押し、気づけば15分が過ぎていた。

イライラが止まらない。

ふと、明日の弁当はどうしようかと考える。

朝起きてから作るよりも、今作ってしまえば楽だと気がつき、キッチンへ向かう。

弁当を作り終え、お湯を沸かす。

すると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。

ピザが届いた。

ああ、こういうことかと気がつく。

 

ピザが届かない事実は変わらない。私がいくらイライラしたからと言ってピザが早く届くわけでは無い。

ピザが届かない状況に対して、私がイライラするという選択肢を選んでいるだけなんだと。

外的要因に私がどう反応するか、どんな感情を抱くか、どんな行動をするかは自分で選べるんだった、と。

だったら、ピザが届かない時間を使って弁当を作るという行動も自分で選ぶことができる。

どうせ上手く行っていないのなら、一旦離れて別のことをして仕舞えばいい。

敢えて上手くいかないことに全力を尽くす必要はない。

 

連絡が来なくて不安ならばそこから一旦離れて仕舞えばいい。不安の感情も自分が選んでいるだけだから。

連絡が来ない事実は仕方がない、その状況は自分ではどうしようも出来ない。変えられない。

でも、その先の行動は好きなように選べる。自分が選ぼうとするならば。他の選択肢があることに気づけるのならば。