試練

なんともない日が試練だ。

と、本に書いてあった。

今の社会は、目標・やりたいことを見つけて努力することばかり求められる。

それらは欲に似ている。

いや、それも欲の一種か。

欲しいものがある、やりたいことがある、それがある時は、何かに取り憑かれたかのようにそれしか見えなくなる。

そしてその時は快感だ。

欲を達成すると、人は気持ちがよくなる。そして、再び求めたくなる。

達成するまでの道のりも、同じかもしれない。

快感という刺激は、手っ取り早くて分かりやすい。簡単だ。

だが、なんともない日は難しい。

人生は長い。

なんともない日を快感で埋めようと、目標・やりたいことを作り出す。

目標・やりたいこと自体は何も悪くない。

ただ、なんともない日から逃れたくて作り出した目標・やりたいことは結局、快感を得るために簡単な方を選んでいるに過ぎない。

そちらを選べば、簡単に手に入る快感もあるだろう。

でも、なんともない日はまたやってくる。

人生の殆どは、なんともない日だ。

だから試練だ。

なんともない日を、どう生きるのか。

意味のない時間を、受け容れられるか。

意味のない人生を、現実を、目を逸らさずに見られるか。

無意味さを受け容れ、歩き始められるか。

そういう事なんだろう。